勉強の楽しさと知識の三次元展開

最近漢検なるものを始めた。

家族の眼は総じて「またオヤジの酔狂か?」と無言に語っている。本当の理由は自分自身でもよく分からず,酔狂と言われれば確かにその通りではある。昨今流行の教育モノのクイズ番組も確かにひとつのきっかけではあったと思うが最も強く駆り立てたのは,おそらく老いに対する恐怖だ。

人間の脳は年齢ととも処理速度が落ちる。ゲーム機を操る娘の指,スマホに入力する息子の運指の驚異的な速さ,速さでいえば50代の脳は10代とは比較にならないほどくたびれている。使えるうちになんとか使ってやりたいし,今鍛えておけばこのくたびれた脳ももう少し長く使えるのではなかろうかというかすかな希望が私をテキストに向かわせているのだろう。

新聞も毎日読むし,2級ほどの力はあると判断して,準1級と1級同時受験を目標に勉強を始めた。振り返るに,純粋に記憶するという作業は大学の卒業試験以来である。あれから早30年自分に人並みの記憶力が残っているかどうかという懸念はあった。

勉強を始めてそれが杞憂であることに気がつくのに時間はかからなかった。案外スラスラと記憶が進んでいくし予想された苦痛はなく,むしろどんどん楽しくなっていく。

勉強が苦痛から快楽に変わる瞬間,それは知識が三次元に展開し始めた時である。勉強を始めた当初,我々は平面上を右往左往する蟻である。石ころや草,小さな家も見えるがそれがどんな意味があるのか分からない。そんな退屈な世界をさまよっている時,突如として2階建てあるいは3階建て以上のビルディングが見えてくる。そして情報が上位レベルで連結してることに気がつくのである。A不動産とB損保は違う会社だと思っていたらなんと3階に連絡通路があって実は同じ会社だったのか,のような感覚だ。そしてそのような連結が無限にあることに気がつくと,そこは退屈な平面世界から遊び倦ぐことのない立体世界に変わる。

このような理屈で,学者たちは学問という阿片を手放せなくなっていく,というわけである。

漢検1級はタレントの宮崎美子さんが合格したことで知られている。1級で覚えるべき漢字は6000文字,四字熟語は1200で相当に厳しい。合格率は10%前後だが合格者の70%は既に1級取得済みのリピーターで1級を持ってない人(リピーターではない受験者)の合格率はコンマ数%から3%ほどと言われていて,京大法学部卒の某コメディアンも数回受験して合格出来なかっというかなりの難関である。

合格できた暁には鬱陶しい自慢話を許していただきたいが,それがいつになるかは分かりません。今回は本当に診療と関係ない話でした。