なぜ人は行楽地に向かうのか・多数派同調バイアス
GWが終わりました。
私は40代後半から連休に出かけようという気が完全に失せました。家族の要請に応じて行くことはあっても,特別な場所でもなければ自分から進んで足を運ぶことはありません。
連休で異常に人が集中するのは多数派同調バイアスによるところが大きいでしょう。多数派同調はつい人の多い方に向かってしまうという人間の行動傾向をいいます。つい列の長い店にならんでしまう,多車線道路で車の少ない車線を走っているとなんとなく不安になる,というのもそれです。
多数派同調バイアスについては震災時の避難などに関連してあれこれ論じられていますが,なぜ起こるのかという考察はほとんどないようです。
実は野生の本能がそうさせます。
本能とは遺伝子の肉声です。本能が自らの遺伝子の存続に有利になるよう「不安」を介して人を操作します。人が多い場所が保身と遺伝子の再生産に有利であることを本能が叫び続ける,それゆえ再生産年齢(生物学的な意味で親になる可能性のある年齢,思春期~壮年期)の人々は人の多い場所に足が向きやすく,人の少ないところで寂しくかつ不安になります。
鳥の大群がまるでひとつの生物であるかのような異形な振る舞いをするのを見たことがあるでしょう。鳥は不安で駆動される自己保全と遺伝子再生産のプログラムによって近くの鳥とお互いに寄り添おうとします。その中である鳥が変な動きをしたとき周囲の鳥はそれに追従しようとします,それがあれだけの数の鳥によってなされた場合に,全体としてまるで一つの生物であるかのような振る舞いをするのです。この鳥の群れ動きこそが多数派同調バイアスそのもので,自己保全と遺伝子再生産の本能が具現化されたものといえます。
もちろん行楽地に人が集まったところでドラマチックな男女の出会いなどほぼ期待できませんし,すでに結婚しているなら問題外なのですが,本能はそのようなこととは無関係に不安で人を操作し続けます。それゆえ強引に理性を介入させないとなんとなく行楽地に向かってしまうのです。
人の集まる所を嫌う自分は,すでに再生産年齢ではないつまりは「枯れた人間」ということになりますが,お陰で以前より意味のある連休が過ごせるようになりました。
今回のオチはありません。(写真は本日の長木川河川敷,セイヨウカラシナの絨毯)