個人情報もほどほどに
「お薬手帳」は存知かと思う。
患者にしてみれば,なかなか持ち歩くのが面倒らしい。そうでなければわざわざメディアを使って啓蒙する必要はないのである。
実際,薬の名前はおろか自分の病名すら分かっていない人もいる。薬局からすでに同じような薬を内服中ですというという返事が返ってくることも珍しくない。
そのような人のためにお薬手帳があるのだが,世の諸問題同様に,問題に対する対策が考えられて,さらにそれで生じた問題に対してさらに面倒な方策が加えられるという対策の雪だるま現象が生み出した代物だ。そのうちお薬手帳を忘れないための「お薬手帳を忘れない通知サービス」が現れるかもしれない。
だが考えてみてほしい,あなたは滅多に行かない店で外食するときわざわざその店のスタンプカードを準備して行くだろうか。私は持っていかないし,そもそも作らない。だから私はお薬手帳を忘れた患者さんを偉そうに注意する資格を持っていない。
この問題は医療機関が投薬情報をそれぞれが独立して所持しているのが原因だ。
個人情報というものが流行りだして,個人情報であれば何でも秘匿すべきという流れの中にある。マイナンバーカードの普及率がいまだに10%に達していないのも,個人情報に対する過敏さを示しているといっていいだろう。反応している薬の情報だって重要な個人情報だと考えてしまうのも当然な時代ではある。薬が分かれば病気が知れて,怪しい電話がくると想像するのも現状では無理もないことではある。
だがそんなビジネスがまったく割に合わないことであることはよく考えてみれば分かることだ。
情報が漏れないように些細な情報の扱いにまで身構え続けることが,果たして我々を幸せにしてくれるのだろうか。自問していただきたい,個人情報なる言葉が生まれてから,果たしてあなたの暮らしは安全にかつ豊かになっただろうか。情報を抜き出そうとするディメンターのような悪魔の幻影に慄(おのの)く不安な日々になってはいないだろうか。
漏らしてはいけない個人情報と,漏れてもいい情報を適切に分けて扱うべき時期にきている,と私は思う。内服している薬物の情報を医療機関で共有することは今のネット環境があれば簡易なアプリや安価な端末で可能になる。
あくまでワタクシ個人の意見として捉えていただきたい。個人情報に対する過敏さの振り子は,そろそろ反対側に振れてもいいと思う。(写真は,ある会社員が復館させさたことでTVでも話題になった大館市御成座の11年前の状態)