体験はなぜ味覚に例えられるのか


この町にはこの時期に「アメッコ市」という行事がある。由来を説明すると長くなるが,アメッコ市の飴を食べるとこれから1年風邪をひかないというものだ。人々の健康への思いが継続させている行事である。

昔から人は甘いものに目がない。それは甘いものには麻薬性があるから。甘いものが脳内で快楽物質であるβエンドルフィンを放出させることはすでに分かっている。

そんなことは知っていると,ふむふむ,それでは次の事実に気がついたことはあるだろうか,

人が体験や記憶を表現する時に味覚に例えるということを。それも例えられる味覚は「甘い」「苦い」「旨い」という3つにほぼ限られている。「甘い記憶」「苦い思い出」「旨い話」はあっても「すっぱい記憶」「しょっぱい思い出」「辛い話」という表現はコアな文学世界でだけの話である。

そこで一つの仮説を立てることができる。つまり味に例えられるような状況を体験する時,それは脳内でその味を体験しているときと全く同じことが起こっているということ。甘いものを食べているときにも甘い体験をしているときも脳内では同じくβエンドルフィンが分泌され,旨い話を聞いたときも旨いものを食べたときにも同じく報酬系伝達物質のドパミンが働いている,多分そうなんだと思う。また酸味,塩味,辛味は脳内でそれほど重要なはたらきをしていないということもできる。

しかし何かが抜けていることに気がつく。そう,苦味である。「苦い味」「苦い体験」のときに脳内で起こっていることは何なのか,またそれは甘味や旨味と同じように脳の内で共通した現象が起きているのかということである。

チョコレートや甘みのきいただし汁がそうであるように,甘みと苦味,甘みと旨味は共存しうる。体験上も「甘くて苦い体験」「甘くて旨い体験」というのも勿論ある。だからこれらに関係した脳内物質は互いに打ち消し合うようなものではないということが想像できる。

しかし,苦味と旨味は違う。「これすごく旨いけど苦いね」という食べ物はまずないし「旨くて苦い体験」というのもない。さらに苦味によって旨味を打ち消すことはできるが,旨味によって苦味を打ち消すことはできない。つまり,苦味に関係した脳内物質が一方的にドパミンを打ち消すような作用があると考えられないだろうか。

味覚と体験感覚の似ている点から脳の中で起こっていることを想像するという四方山話でした。ちなみにアメッコ市の飴はきな粉飴を1個食べて少量のβエンドルフィンをいただきました。

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