新型コロナと不安遺伝子 2022.9.27
盛衰を繰り返す新型コロナ。真の収束がいつどのような形で訪れるのか杳(よう)として見えない。
バイデン大統領は新型コロナの終息宣言を行い,欧米において新型コロナはすでに過去のものに属している。一方日本はどうか,まだ中途半端に喘ぎ続けている。この違いは何によるのか。その理由を認識することは我々が心理的な面での新型コロナから真の回復を得ることに少なからず役立つと思う。
その理由として上げるべきものはいくつかあるが,ここでは我々が先祖から引き継いだある遺伝子の存在に注目したい。
説明する。以下の説明は多分に主観を含むことを断っておきたい。
セロトニントランスポーター遺伝子というのがある。「不安遺伝子」などと呼ばれる。詳細はここでは割愛するが不安のコントロールにはS遺伝子(不安遺伝子)とL遺伝子の2種類の遺伝子が主に関与していて,その2種類の組み合わせでタイプが決まる。SSの組み合わせではもっとも不安が強く,LL型ではもっともノーテンキで怖いもの知らずな性格になる。SLの組み合わせはその中間だ。
日本人のS遺伝子の保有率は約80%,それも最も不安の強いSS型が約70%を占める,つまり日本人の3人に2人は地元弁でいうところの「しんけたがれ(≒神経質)」である。ちなみに欧米人のS遺伝子保有率は約40%で日本人の半分程度である。
自分が普通だと思っている人も欧米人から見ればずっと「しんけたがれ」である。ゴミひとつ落ちていない道路,少しの危険で撤去される遊具,子供の遊び場所の度を越した制限,校庭への部外者全面禁止,時間の厳密さ,潔癖症の多さなど,日本人ってこんなもんだろうなと思っている事も外国人にとっては異様だ。これらもまた不安遺伝子がもたらしたもの,正確には不安遺伝子による社会の要請がもたらしたものだ。
一方不安遺伝子は日本人の良い意味での日本人らしさを作っている。それがもたらす慎重さは勤勉さと結びつき,正確さは日本人や日本製品への信頼となって日本を発展させた。今の日本ができたのは不安遺伝子のお陰だといっていい。
何事にも多面性がある。そのとおりである。ここで私が言いたいのは不安遺伝子の負の側面が日本において新型コロナからの回復を阻害しているということだ。
不安遺伝子の影響は平穏な生活が営まれている限りにおいてはさしたる問題はない。問題は何か不安を生じるようなことが起きたときである。
不安が生じた際,この遺伝子の影響が強いと不安を感じるべき対象の優先順位が狂ってしまう。些細なことへの不安にとらわれて重大な部分に無頓着である患者さんは多い。一度不安にとらわれてしまうとその対象が小さくなろうとも不安からなかなか抜けきれない。
集団のレベルではどうだろう。不安遺伝子に支配された社会は人々の安心と引き換えに個性的な人間や自己判断で行動する人間を排除しようとする。不思議なものでそのような人を個人レベルでは「すばらしい」などと称賛しつつも社会全体としてはなぜか不寛容である。個性尊重は個性が尊重されていない社会であるからこそ強調される。
不安から抜けられない,社会が不寛容になる,このような不安遺伝子の効果を現在の新型コロナの流行という絵図に重ね合わせてみるといかに我々がその影響から抜け出し難いかが分かると思う。奈良に大仏を建立し仏の力をもって疫病退散を願った聖武天皇の鎮護国家思想は,千数百年の時を超えてなお,疫病に過剰に反応し萎縮する日本人の不安遺伝子の問題を投げかけ続けているのである。ただこれはあくまで量的な問題であって質的には人類全般に存在する問題ではある。
翻って今の我々に何ができるのだろう。ここが本題だ。しかし結論は残酷ではある,残念ながら遺伝子に刻まれている以上治すことはできない。だがその不安から抜け出す道がないわけではない。
その道とは,新たな不安である。
どういうことか。ここで問いたい。貴方は家族の具合が悪いときに大谷翔平選手がホームランを打つかどうか心配していただろうか。入試試験の合否が心配なときに地球の温暖化を気にしていただろうか。子供の帰りが遅かったときに株価の乱高下を心配していただろうか。頭の片隅にすらなかったはずだ。
回りくどい言い方になったが結論はこうだ,不安遺伝子に支配された過剰な不安は新たな不安によってしか除去されえないということ,絶え間なく新たな不安が生じ続ける社会において結局は時間しかそれを解決し得ないということである。そういった理由で欧米よりも回復が遅れることはやむを得ないことなのである。
絶望的な着地点になってしまった感もあるが,ただ焦らず待てば良いしそれ以外に方法はないのである。それを悟ればすでに出口の光は見えている。